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米子簡易裁判所 昭和30年(ろ)81号 判決 1961年6月29日

被告人 樫本重三 外一名

主文

被告人両名は無罪。

理由

一、本件公訴事実は、「被告人樫本重三は鳥取県日野郡日南町大字生山七〇番地の一において、同人の次男二郎の妻である被告人樫本恵美子名義で旅館を経営しているもの、被告人樫本恵美子は右旅館の運営にあたり客への食事の準備やその仕入等をなしているものであるが、昭和二八年四月頃、被告人重三は職人に命じて右旅館内階下炊事場に営業用の竈を築造させたが、該竈は当地では珍しく大型で、その高さ約二尺四寸五分、略四尺四方の煉瓦造で南向に二つの焚口があり、なお同竈の上部北側中央部に直径五吋のスレート製円筒型煙突が約一八尺直立に取付けられ、同煙突は炊事場の杉皮葺屋根を約五尺突き抜け、その先端に雨除けの陣笠型の金具が取付けられており、この竈の吸込は極めてよく、被告人重三も予ねてその竈の吸込のよいことは鳥取県随一と誇つていた程で、かゝる竈に焚火すると竈内に発生した火の粉が煙と共に強く吸込まれ、煙突から吐き出されることは当然に予測でき、更に、同煙突の附近は被告人宅をはじめ近隣の家屋は殆んどが、可燃性に富む枌葺若しくは茅葺屋根であるから、右煙突から飛散した火の粉が、これらの屋根に附着すれば、風速、乾燥の程度によつては容易に火災発生の危険が認められるから、該竈の設備者たる者は斯る危険を防止するため、煙道を長くするとか、煙突を屈折させるとか、煙突の先端に金網を冠せる等して火の粉の飛散を防止すべき義務があるのにこれをなさず、次に、被告人恵美子は右竈の構造および、近隣の状況を知り、且つ、当日は数日来の晴天続きのうえ、戸外には相当の風が吹いていたのであるから、斯る危険な状況の下には竈を使用しないか、仮に使用するとしても火の粉の飛散し難い焚付や薪等を焚いて火災の発生を防止すべき義務があるのに拘らず、同年一二月一七日午前四時五分頃、早発ちの客に提供する朝食の準備をするため、同竈に白米一升六合を仕掛けたうえ、同竈の左側焚口に四頁大の新聞紙を一枚を揉んで入れ、これに点火し、その上に乾燥した皮付き杉製材屑木等を数本差入れて約二〇分間に亘つて炊きあげ、引続き同竈右側焚口に右燃え残りの薪および燠を移した上、これに屑木四、五本を差入れて味噌汁用の水二升を仕掛けて焚いたため、竈内で発生した火の粉が煙突より飛散し、折柄の南風により北側九米余離れた略々同じ高さの隣家の中島虎治方平屋茅葺屋根の上部に附着し、風に煽られ、同日午前四時三〇分頃、同茅葺屋根に漸次燃え拡がり、更に風速を増してきた強風に煽られて風下に飛火し、右中島方等住居に使用する建物七八棟、官公衙、会社事務所、倉庫等の建物一一七棟を焼燬したものである。」と謂うのであり、右公訴事実のうち、本件火災の発生が被告人恵美子において被告人重三が職人に築造させた本件竈に、前記日時頃、皮付き杉製材屑木を数本焚付け、二〇数分に亘つて燃したことに基因することは後に説明するとおり明らかである。しかし、それだからといつて、直ちに被告人両名の所為に注意義務違反があつたとは断定できない。検察官は被告人重三に対し、同人が一般民と同程度の注意を払つておれば、本件竈の性能として粉火の飛散の蓋然性が高いのを知つていたのであるから、本件火災発生の予見が可能であつたとし、被告人恵美子に対しては同人も右事情を知悉していながら、その取扱に注意を怠つたため、本件火災が発生したと主張するが、諸般の証拠によると本件竈の性能として、杉製材屑木を燃すだけで直ちに煙突からの粉火飛散の蓋然性が高かつたと断定できない。故に本件火災の発生原因を他の具体的事実に求めなければならないのに本件についてはこれらの証明がなく注意義務認定の基準となる具体的事実の確定ができない。

二、まず、被告人恵美子が本件竈に杉製材屑木を焚付け燃したため煙突から火粉が発散し、おりからの南風に吹かれ、隣家中島虎治方の平屋建茅葺屋根に着火し本件火災を発生せしめたという事実は、被告人両名の極力抗争するところであるが、次の理由により認定することができる。

(1)  証人芥川佳代子、同金丸一典、同山本亀次郎、同都田かめよ、同中島虎治、同中島スエヨ、同中島春之、同中島貞江の各尋問調書および森田力の検察官に対する供述調書によれば、本件火災の発火場所が中島虎治方平屋建茅葺屋根の、被告人宅側である事実が認定できる。この認定に反する証人の尋問調書は、一方、供述している事項が伝聞であつて、事実歪曲のなされた噂の域を脱せず、弾劾証拠としての価値さえなく他方伝聞供述でない場合でも、目撃していた位置が遠隔であり、信用することができず結局前述認定を覆しうる証拠はない。

(2)  中島宅着火の火は、被告人宅の炊事場に設置されていた本件竈の煙突よりの飛火であることは、被告人恵美子の検察官に対する供述調書により、被告人恵美子が昭和二八年一二月一七日午前四時五分頃より約二〇数分間本件竈の左側の焚口から皮付き杉製材屑木数本を焚付け、引続き右側の焚口で同屑木数本を燃した事実が認められ、更にこれと時間的に合致する同日午前四時四五分頃、前記着火点が燃えていた事実を認定でき、証人本多登輝夫の尋問調書(第一回)被告人両名の検察官に対する供述調書、司法警察員作成の検証調書により、本件竈は旅館営業用のもので、その構造は高さ二尺四寸五分位、略々四尺四方の煉瓦造で、竈の上部北側中央部には直径五吋のスレート製円筒型煙突が約一八尺ほゞ直立に取付けられ、その煙突は杉皮葺の被告人宅の炊事場屋根を約五尺つきぬけ、その先端に陣笠型の金具がつけられており、この竈の燃え具合が極めて良好であつた事実および、同竈煙突の先端より北側約九米の位置に前述認定の中島虎治宅平屋建茅葺屋根の着火位置が認められ、しかも当時南風が多少吹いていたことも認められ、両者即ち、着火と飛火との時間と場所が合理的に合致する事実更に、各証人尋問調書と右着火場所の特殊性やその着火時間からして、他に火元となる事項が全然認められない事実が各認められそれ等を綜合判断すれば、本件火災が飛火に基因するという前述事実が合理的に推認される。なお証拠中当時多少の霜がおりていたことが認められるが、これがため右推認が左右されないことは空本吉造作成の鑑定書に照して明らかである。

三、次に被告人等が、右認定の事実を知悉していたというのみで直ちに本件火災の過失責任を負担せしめうるかについて判断するに昭和三四年六月六日施行の当裁判所の検証調書によれば、本件竈の性能から云つて、焚口より皮付き杉製材屑木を数本、二、三〇分間燃した程度では粉火を飛散する蓋然性は極めて低く、通常の場合に飛散の可能性ありとは断定できない。勿論当検証に使用した竈が、本件の竈と完全に同一とは云えず、又その他焚材の点火燃焼に関連して種々異なる条件のあるのも否定できない。しかし証人本多登輝夫尋問調書(第二回)により明らかなようにでき得る限りの類似条件の下になされた検証の結果であり、空本吉造作成の鑑定書による結論とは比較できない位信用でき、他に検察官の右疑いに対する反証がないからには、これを払拭することはできず結局この挙証責任は検察官の負担に帰する以外はない。右のように通常は粉火飛散の可能性がないのに、現実に、それがあつたと認定できる本件については、何等かの特殊事情があつたものと思われる。検察官としては、まずこの特殊事情が如何なるものであるかを立証し確定しなければならない。この事情が確定されないからには、被告人両名の本件火災に対する予見が可能であつたかどうかの判断すらできない結果となる。しかるに、記録上これらの特殊事情を認めるに足りる証拠は全然存在しない。又、本件火災が本件被告人宅の竈の煙突からの飛火により発生したと認定したことのみをもつて、直ちに、被告人恵美子が本件竈に易燃物を一時に多量に燃したとか、当時煙突に相当の煤煙が留つていたというような粉火の飛散した理由となるような具体的特殊事情を推定し確定することはできない。これは本件火災の原因たる被告人宅竈よりの飛火は本件記録上右のような特殊事情に限定されて発生するものでなく、しかもこれらの事実は、第三者によつてはなされ得ないと断定することができないからである。

故に本件について検察官の主張のように、被告人両名に対し本件を燃すについては燃料の選択に留意すべきであつたとか、煙突を曲げるべきとか、煙突の突端に金網をつけるべきであつたとかと要求することは、これらの事項がはたして、本件火災にいかに結びつくか不明瞭でありそのため本件火災につき被告人の予見可能性ということが考えられないのだから、被告人両名に右の注意義務を要求することはできない。

以上述べたように本件公訴事実は刑事上の過失責任を認めるに足りるべき証明が充分とはいえないので、刑事訴訟法第三三六条に則り、被告人両名を無罪とする。

(裁判官 松本谷蔵)

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